そろそろ人生を考えよう

♡死ぬために生きてる♡

うーむ

(今日の記事はあまりまとまりがない…継続は力なりってことで続けたいけど、あんま納得いかない場合は下げよう…)

 

やっとこさ3日目ぇ。明日の更新出来るかどうかで一歩踏み出す感じがするんですけど、記事の内容的に坊主が還俗する可能性は低そうですね。安心。(?)

あ、スター?とかもありがとう。いまいちはてなブログのシステムわかってないけど、ふぁぼ的な物ですよね。(Twitter基準)

そういえば昨日は人間は更新し続けるという話をしたんだけど、じゃあ逆に変わらないものってなんだろうなぁ〜って

いう話は全然出来ないんでしませんけど、たぶん更新されても残り続けるようなものって普遍性のあるものだよね。そういうのをこのブログに書いておきたいけどそんな簡単にはみつからないわな。なんなら哲学書かくわ。

 

唐突に自分語りを始めるけど、私は歩くペースが人より遅い。っていうのは私ってどんな人間か?をあらわすには凄く良い例で、その行動からなにがわかるかというと「人に合わせる気がない」「流れてる時間が遅い」「自分のペースを守る」「楽をしがち」みたいな。

私からしたら周りはみんなちゃんと歩くペースを乱さないからみんな行進上手いなーって思う。

でなにが言いたいかっていうと、どうやっても私はその行進から外れてしまうみたいなんだよ、みんなからして私はどういうやつなんだろう?もしかしたらわざと行進から外れようとしてる悪ガキに見えてるのであれば、私としては少し悲しい。なぜなら私はわざと外れようとする悪ガキではない。幼稚園は半分ぐらいサボっていたしみんながおそうじしてる時も昼寝してたし(あれ?悪…)、もうずっと幼い頃からどうやっても外れちゃうただの出来損ない、わざとじゃなくて。

もちろん私も行進出来るもんならしたい、でもなんかやっぱ行進中にキョロキョロしてペース乱してあげく面白いもの見つけたら夢中になって行進やめてそっちいっちゃうよね。それで先生に怒られて始めからもっかいってなってクソ迷惑なやつだ!(みんなごめんね)

まあそんな出来損ないではあるが、それでもこれからも死なずに生きていきたい。そこでポジティブに捉えてみることにした。すると、

私はふつうの人ができないことはできないけどふつうの人ができないことはできる人間なのではないか?

と気付いた。それはただただ可能性があるって意味でもそうだし、実際に人がもってないセンスとかは多少あるつもりではいる。前述の時間感覚だったり、バランス感覚、色彩感覚、観察力は人よりも鋭いし、結構いろんな視点を持ってる、かもしれない。

まあ、それが活かせなきゃただのイカレチンポジティブクソ野郎だけど…そして野垂れ死ぬ。〜fin〜

で まあ参考までに、たぶん社会が求めてるのは、みんなが出来ないことができる人間じゃなくて、みんなが出来ることを同じようにできる人間で、同じ時間に同じ場所で、同じ服を着て、同じ髪型をして、前の人に続いて行進できる人間なんじゃないかなぁ。残念ながら私とは真逆だ。

皆さんは自分の中に流れてる時間とか自分のペースを気にしたことありますか?ないか。でも時間=時計ではないと思わない?ないか。

行進が大変なのも知ってる、みんながペースを守れているのは頑張っているからなのも知ってる。だけど違う感覚を持った人間なのに、それに気付かなかったり見て見ぬフリして同じように行進する人生はもったいない気もしてしまう。前の人に続いて行進してどこに行きたいのかね?

そろそろ人生を考えよう。みんながみんな自分の人生を生きれたらいいのに〜

ただ、行進する道はある程度整っているけど、だれも行進しない道を行くのは過酷だろうなぁ。行進できないからしょうがないけど…

好きで行進する人もいれば、好きじゃないけど行進する人もいて、行進できないタイプの人もいる。

まあ、イヤイヤ行進するタイプはいちばんダサいかも。こういうタイプは後々ジェラシーお化けに変身するのできをつけよう。

できないタイプの人もさっき言ったみたいにポジティブに生きましょう。ただしイカレチンポ(略)にはならぬよう。

私はこれからも人生を考えて生きます。がんばります。

 

昨日は更新の話 今日は行進の話 なんてな

ギャグが寒いので終わります

 

p.s. 今日は改行できてて嬉しい。はてなブログも気分屋なのかな…